Product Description
Frontier Meets Pacific
”西部の開拓前線が西海岸まで到達し、もはやフロンティアとよべる地域を国内に見出すことはできない”。1890年のUSセンサスは合衆国の歴史がひとつの大きな節目を迎えたことを告げた。しかしフロンティアは消え去ってしまったことで逆にアメリカ人の起源というフィクションの舞台として神話化された。荒野を駆け抜けたカーボーイやアウトローたちは現実の世界での行き場所を失った替わりに、アメリカ人気質を表象するシンボルに祭り上げられていった。このとき、現実の世界で、消失したフロンティアに替わって出現したのは国内市場の重要な担い手としての中西部、西部だった。中西部に出現した酪農地域、東部海岸地域に発達していた工業地帯、そして南部では黒人が奴隷解放の名のもとにプランテーションを追われ、困窮の中さまよっていた。
Chicago Bound
アメリカの中北部、ミシガン湖の南西岸に位置するシカゴは、東部と西部、南部と北部、生産地と消費地を繋ぐ集積地・中継地としての地勢的利点をそなえていた。鉄道網、運河航路が放射状に発達し、胎動する国民経済をつなぐ血脈のごとく19世紀後半から20世紀前半にかけて各地の経済・産業を連結してゆく。やがて流通・交通のハブとしてだけでなく、食品加工・鉱工業・製造業、金融など、商工業の中心地に発展しいく。さらに、大都市となったシカゴはモノ・カネだけでなくヒトも呼びよた。東欧南欧からの移民、デルタをあとにして北上する黒人達、大都市に巣食い暗躍するマフィア、そして彼らが開花させた大衆音楽・芸術・文化。NYに次ぐ巨大都市となったシカゴは20世紀前半のアメリカのダイナミズムそのもののような存在だった。
Bell 1946
そんな1946年のシカゴで小さな電気部品の会社が創業する。その会社は創業者フランクベレックの名をとってベルと名付けられた。ベレックは生産設備に電力・電機を利用した設備・デバイスが急速に普及しているにもかかわらず、防水防塵の不備から漏電や腐食による故障や感電事故が多いことに目をつけ、No Shockというブランド名でアメリカで初めての防水・防塵電気部品の製造と販売を始めた。当時シカゴには電気機械の製造業も集中していたが防水パーツに特化したメーカは他になく、No Shockは大ヒットとなった。Bellブランドは防水製品のトップブランドとして広く知られることになり、その結果アメリカでは防水の電源ボックス一般をBELL BOXと呼ぶようになった( ホチキスやポストイットと並ぶ一般名詞として定着した)。
Touch of Chicago Mid-Century Industrial
工業製品のデザイン変更が頻繁に行われる日本の常識からすると考えられないことだが、1940年代に発売されたNo Shok以来、BELLの電源ボックスは基本設計を変えることなく今日まで、現在でも製造・販売されている。大げさで古臭いリブ形状と、戦前の劇場看板のようなBELLのロゴ、そしてこの無骨なマシングレーの塗装。シカゴが最も輝いていた時代、そしてアメリカが世界の工場だったころの古き良きインダストリアルデザインがこんなちょっとした電気パーツにまで封じ込められ、しかも現在まで脈々と生き残ってきたことに感動せずにはいられない。一部のコレクター向けの復刻販売ではないし、レトロっぽくデザインしたわざとらしい新製品でもない。そのまま生産されつづけ、意図せずして選ばれ続け、使われ続けてきたという事実がいちばんクールで、かつ簡単にはマネできないところでもある。フロンティアだとかカウボーイなんかよりも、そういうところにこそ無意識のうちに共有・伝承されている国民に共通の感性・価値観すなわち文化のようなものが現れるものだから。
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