週末の昼下がり、メキシコにほど近いテキサス南部サンアントニオ郊外のホール、年季の入ったハードウッドのフロアで当たり前のように演奏される極上のバラード。メキシコ国境の磁場とでもいうのか、ナッシュビルの排他的な雰囲気とは一線を画す庶民的で包容力と地元愛に満ちたTEXMEX(死語?)はこんな空気の中で育まれるんですね。ボーカルのおじさんなんかさっきまで農園で仕事してたそうです(ウソです)。それにしても泣かせます。女々しくて未練たっぷりの男心を歌った歌詞と泣きのスティールがなんとも沁みます(涙)。
週末の昼下がり、メキシコにほど近いテキサス南部サンアントニオ郊外のホール、年季の入ったハードウッドのフロアで当たり前のように演奏される極上のバラード。メキシコ国境の磁場とでもいうのか、ナッシュビルの排他的な雰囲気とは一線を画す庶民的で包容力と地元愛に満ちたTEXMEX(死語?)はこんな空気の中で育まれるんですね。ボーカルのおじさんなんかさっきまで農園で仕事してたそうです(ウソです)。それにしても泣かせます。女々しくて未練たっぷりの男心を歌った歌詞と泣きのスティールがなんとも沁みます(涙)。
なんかすげーカッケ―(いまさら?)、こんなに顔がデカいのに(いまさら?)。いや、むしろ顔がデカいところまでもカッコよく見えてくる。ギターが上手いから? いや、もっと存在そのものから滲み出す何かですね。食い物が違うというか。豆たくさん食ってるからですね、たぶん。まんず、ロスの連中もやるもんだ―。俺も毎日、豆腐入りの味噌汁たべよ。
ロックンロールの様式美をもっとも忠実に継承しているのはヒスパニック系の人たちだ、というようなことを片岡義男が書いていたような気がする。クルマの世界でもそうなんですよね。古いスタイルを大切にするとことか。ブレークのときのドラムのおじさんと目があっちゃうんですけど。
カウボーイハットとペダルスティールでファンク。 テキサスからカリフォルニア南部にかけて、メキシコとの国境近くのバーでは夜な夜なこんなかっこいいライブが繰り広げられているんでしょうか。サンディエゴ出身のギタリストDave Gonzalezについてはまた別の機会にじっくりと。
深夜から明け方にかけて、そんな時間帯にこの曲を聴くと胸がしめつけられるような切ない気持ちがこみあげてくる。彼女以上にこの曲の情念を歌い上げるのにふさわしい人はいないんじゃないだろうか。EW&F、DeAngelo、なんぞまだまだひよっこ同然。愛をしらない!人として浅い!I betcha !
画像の粒子や色調から判断するに、1980年前後の”8時だよ全員集合”の少年少女聖歌隊コーナの映像だと思われます(だったら何故、白いベレー帽をかぶっていないのか、というつっこみは禁止とします)。トランペットと指揮は荒井注。3:30ぐらいからの和田アキ子さんのトロンボーンソロは聴きごたえ十分。ドラムは船舶免許もとってブイブイいわしてた絶頂期の横山さすしさんに間違いありません。そうやってみているとヒースなんて、そんなに似てないのにいかりや長介に見えてくるではないですか!さて、この中で一人だけ仲間外れがいます。正解!横山やすしは8時だよ全員集合には出演していませんでした。ええ、とにかく貴重なクリップであることには間違いありません。
技術に感動する、表現力に感動する、才能に感動する名演。そういうことならとてもわかり易い。では、プレイヤーの人格や性格が伝わる名演というものは本当にありうるんだろうか。それとも、そういうことがありうるように感じるのは体で感じるのではなく頭で理屈っぽく聴いている証拠なんだろうか。逆なんだろうと思う。音楽とはトータルな体験であり、私たちの脳はありとあらゆる感覚・感性・知性を動員してその演奏に向き合っている。だから、音以外の要素、プレイヤーの演奏する姿やしぐさから性格や人格を感じ取ることによって生まれる感動・名演はありうるし、音楽というものは本来はそういう受け取り手の力量にゆだねられたトータルなライブ体験なのだと思う。実は多くのファンは、テクニックや音楽性はもちろん、その演奏する姿やたたずまい、もっといえばその身のこなしや言動から自ずと伝わってくるCHESTERの人格的魅力に感動を禁じ得ないのだ。
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